現地からの中国事情

日本人が自覚しない、変な日本

急増する外国人観光客が日本を誉め讃えています。でも、本当に日本は素晴らしい国なのでしょうか。中国のこだわりから、こだわらない日本を眺めます。

 中国共産党の凄さ、恐ろしさ、ずるさを見逃すまいと、中国を観測していますが、実は中国を尊敬し、感心していることが多々あります。

 その一つが中国人の心の底に深く刻まれている「百年国恥」に象徴される「反骨魂」です。

  対日「4大国恥日」

 「百年国恥」とは、阿片中毒が蔓延した19世紀の半ばから清王朝が崩壊するまでのおよそ100年間を指しています。
 ごく簡単に100年の歴史を振り返ると、英国に敗北した阿片戦争(1839〜1842)、英仏に敗北したアロー戦争(1856〜1860)、インドシナ半島の影響力を失った清仏戦争(1884〜1885)、格下と見下していた日本との戦いに度々敗れて、世界最強を誇った清王朝が崩れていく時代でした。
 もともと中国の歴代王朝は、自分たちが世界の中心であると考えていたので、列強との戦いに敗れ、植民地同然に成り下がったことに、大変な屈辱と感じました。
 なかでも、日清戦争(1894〜1895)から20年後の1915年5月9日の「対華21ヵ条要求」、1931年9月18日の柳条湖事件に端を発する「満州事変」、日中戦争に繋がった1937年7月7日の盧溝橋事件、同年12月13日、中国の首都だった南京陥落、を中国人は重くとらえ、永久に忘れてはならないとして、国家の「4大国恥日」と定めているのです。
 「これを、恨み、復讐心だけの現れと理解したら、中国を読み違えます。もともと世界の中心であると思っていた中国人にとって、夷狄と見下していた日本に敗北したことは、純粋に「『恥』なのです」

 日本に留学し、大卒後も日本でジャーナリストとして活躍している孫楽楽さんは、こう断言します。

 この点、日本はどうでしょうか。
 祝祭日は1月1日に始まり、年間16日あります。次の日本を背負う世代を祝う「成人の日」は1月15日だったのですが、いつの間にか需要を喚起するという発想で、連休を設けることを優先して毎年、日が変わり、成人を祝う意識が薄れています。
 日本人にとって、沖縄敗戦、東京大空襲、原爆投下の8月6日と9日は絶対に忘れることは許されないはずです。ところが、記念日の定めはありません。
 日本は、戦争を始めて、みじめに敗北した国家を忘れようとし、今は、その自覚すら消え去ろうとしています。
 これは日本の将来にとって危険なことです。

  誤魔化すのが得意な日本

 日本の大学に学び、国際政治学を教えている大学教授の李文明(仮名58歳)さんは、「日本人は最も大事な問題を『あいまい』にして、『誤魔化す』のが得意です」と、都知事選を例に厳しく指摘します。
 李さんがあいまいだと断定したのが、知事選での立候補者が都民に直結する「火葬」問題に一切触れないで、裏金問題を大問題の如く語っていることです。
 「都知事選で裏金問題がテーマになることは理解できません。日本のマスコミは裏金を絶対悪と決めつけていますが、組織のトップがカネを使って人を動かすことは、アメリカや中国を含め、世界では当たり前のことです。金額にすれば2年間で、僅かに6億円にすぎません。 
 しかも、不思議なことに火葬場は都民にとって大きな問題のはずですが、どの候補者も触れていません」と、李さんは日本の不思議にツッコミます。

  中国人が都民の弔いを握った

 ここで少し、東京都の火葬について説明します。

 現在、東京都には9つの火葬場あり、うち7つが民営。その中の6つは中国資本に握られてから火葬代が毎年のように値上がりし、今年6月からは最低でも9万円を超えました。これは、都営火葬場の2倍以上、横浜市や大阪市の約8倍です。
 なぜ、このような事態になったのでしょうか。
 都内に6つの火葬場を所有する東京博善㈱は、もともと篤志家の善意で設立されたのを僧侶が引き継ぎ、1983年に廣済堂が筆頭株主となりました。
 その後、安定した独占的事業であることに目をつけた投資ファンドがオーナーの死を機に買収を仕掛け、最終的に中国系企業が経営を握ったのです。

 人は必ず死を迎えるので火葬を避けて通ることは来ません。
 だから、火葬場は公益性が高い社会インフラであり、日本人の感性と伝統で運営されるべきなのに、これを中国系企業が持っているのです。
 ところが、知事選に56名も立候補したにも関わらず、誰一人、火葬場問題に触れていません。
 政治を志す人の思考力が衰えているのでしょう。
 この事態に、ジャーナリストの孫さんは、「日本人はあいまいというより、国の伝統の大切さを考えられない馬鹿です」と、けなします。
 こう小馬鹿にされて、気が付いたのが、日本で全国的に行われている高齢者ドライバーを対象にした認知症テストです。
 本来なら、国民の命と暮らしを守るべき立場にある政治家も、高齢になったら認知症のテストを行うべきです。
 この意見が伝わったら、司法、教育、マスコミ、医療など様々な世界から、トップにいる人のイメージを思い浮かべながら「高齢になったトップの人は認知症テストが必要だ」と合唱が起こる気配を感じます。